もうかれこれ9年くらい、日本で正月を過ごしていない。中国では元旦は日本の「海の日」なみに存在感が薄いので、31日まで正常出勤が普通だが、それもあって今日は夕方くらいまでオフィスで仕事をしていた。帰りに車の中から実家に電話すると紅白歌合戦が始まっているという。久々に父親とも長い時間話をし、色々と話しをしているうちに思い出したのが「年越しそば」。まぁ一応日本人として生まれて、このくらいは食べておこうかなと思い、帰宅したのだが、あいにく蕎麦を切らしてしまっていた。というか、あまりにも年末という雰囲気が全く無いので、蕎麦を買っておくのを忘れてしまった(というか、実家に電話するまで年越しそば自体の存在を忘れていた)。個人的には蕎麦よりうどんが好きだが、血糖値のことを考えてうどんを買い置きしていないもので、家にあった最近発売開始された「日新・拉王(ラ王)」を食べた(このほうが圧倒的に血糖値にはよくないとおもうが。。)。年越し中華そば、といった具合だろうか。
豚骨醤油味のラ王なのだが、味はなかなか美味しいものの、なんかカップラーメンなのにお店で食べるラーメンに必至に近づけようとした努力が見受けられる。なのに「やっぱりカップラーメンだな」というような、中途半端な印象をうける味だった。ただ、これはこれでアリなのかな?とも思える味。個人的にはチキンラーメンやカップヌードル、ペヤングソース焼きそばや出前一丁のように、カップラーメンやインスタントラーメン独自のケミカルな味があっていいとおもうのだが、こうした「本物のラーメンに近づける企業努力」というのは、メーカーにとってみれば、技術革新やコスト圧縮、将来的な技術継承やマーケティングなどなど、いろいろと重要な意味があるのであろう。
年越し中華そばを食べてから、鍋料理などを食べて簡単に食事をおわらせ、パソコンのOSを入れ替えたり、自分向けのテスト環境を作ったりしていた。そんなこんなであっという間に12時を超えて、新年へ。その後、日本に帰省している親友としばしMSNで2011年初チャットをして、意見交換などをしていた。学ぶところも多い有意義な初チャットだった。
日本にいると、師走の忙しさや、クリスマスが終わってから慌ただしく新年に向けた準備で角松やしめ縄などで街が彩られ、迎春モード一色になることもあり、新しい年に変わるときは、多少なりとも厳かな雰囲気になるものだ。だが、ここ中国にいると未だにクリスマスのデコレーションはそこらじゅうに残っていて、おまけに31日まで仕事をしている状況ということもあり、実にあっけなく新年に変わる。その分、旧正月を迎えるときは「これでもか」というくらいド派手になるのだが、自分にとって、やっぱり、家族と一緒に紅白歌合戦をみて、行く年来る年があってこそ、自分の中での「日本の年末年始」なのかもしれない。これは多分、一生変わることがないのだろうと思う。
2010年は本当にあっという間に過ぎ去ってしまった。山あり谷ありとかいうようなレベルではないくらい、ジェットコースター並みに急発進、急ブレーキ、急上昇、急滑降と、色んなことがあり、何度オフィスで夜明けの眩しい太陽を仰いだか分からないくらい、過酷な一年だった。そして、数多くの友人や知り合いが他界されたり帰国した年でもあった。
日中間のビジネスでも色々なタイプが有るとは思うが、我々情報産業に従事しているものとしては、日中間の政治問題に非常に左右されることがあるため、ひたすら外交的な安定を望むのみなのだが、なかなか民間の思惑とはちがい、思うようには行かないもの。また2010年8月に中国におけるインターネット関連規定が大幅に変化したことも、大きな打撃だった。中国経済はたしかに上向きになっているものの、様々な問題をはらんでおり、日本の政治も揺れ動き、加えて尖閣諸島問題があったりと、なかなか思うようにうまくいかないものだ。大シケの海を突き進む小さなボートのような状態であっても、置かれた状況を憂いている暇はなく、かといって闇雲に突っ走らずに潮目をみながら梶を切り続け、基幹事業を守り通してきてた甲斐もあり、ずいぶんと安定してきた。いろいろと貴重な経験を積ませていただき、最終的には、結果オーライといえる一年であったので、ほっとして2011年を迎えることができた。
2011年12月31日に2011年を思い返すときには、いったいどんな年になっているのだろう。 考えても無駄だし、想像だにできないが、頑張って「2010年よりもっと良い年だった」と思い返せるような一年にしていきたいと思う。
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