2010年12月23日木曜日

香港

二階建てバスから、ネイザンロード・モンコック近辺を撮影
先日出張で四泊五日で香港に行ってきた。久々に訪れる香港の街並みは、正直ずいぶんと変わったなぁという印象であった。

香港といえば広東語圏。基本的に街中で話されている言葉は広東語がベースで、英語もよく通じる。ただ、いわゆる普通話は、若い人には通じるものの、30台後半の人から途端に怪しくなる。実際に普通に通じるタクシー運転手などもいたのだが、基本的にド下手な普通話なので、コミュニケーションに一苦労。やっぱり英語のほうが楽。では、英語なら誰でも問題がないか、というと、英語を話せない人もいる。いわゆる広東語オンリーというひともいるので、そういう場合はもう筆談でやるしかない。

しかしながら、広東語の文法や使う漢字は普通話とちがうこともあり(繁体字や簡体字の差異ではなく、実際に違う)、たとえば「彼は日本人ですか?」という場合、普通話なら「他是不是日本人呀?」となるところ、広東語の場合は「佢係唔係日本人呀?」となるようで、漢字も違うのでピンと来ない(一呼吸於けば何となく分かるけど)。全然わからなかったのが、冇という漢字。たとえば普通話では「私はお金が無い」というときに「我没有钱」となるのだが、あちらでは「我冇銭」となる。一瞬書き違えか何かで「カネがあるのか」などとおもうのだが、どうもちがう。「没有」が「冇」になるのかとおもったら、どうもそうでもないようで、「我冇去」などとも書くので「不」という意味もあるようだ。一応広東語でも普通話で書けば通じるのだが、普段こういう文法で普通に書いている人にとっては、自分から書くのは難しいのかもしれない。
今回の出張先の相手方のエンジニアがまさにこのタイプで、一生懸命頑張って普通話で話をしてくれるのだが、見事なグラデーションを描くように広東語になっていってしまい、最後は100%ネイティブな広東語で熱く語ってくれるのだが、途中で我に帰ってまた普通話で話そうとしてくれていた。相手は私の普通話を理解してくれるのでまだマシだったのと、基本技術的な会話がベースなので意思疎通に問題はなかったのだが、なんとも中途半端なコミュニケーションであった。また、マレーシアからもエンジニアがきており、彼らは流暢に広東語も普通話もはなしができるので、香港人とマレーシア華人と北京に住んでる日本人が普通話でコミュニケーションをしているという、なんとも珍妙な光景であった。しかしながら、中国語の利便性を改めて痛感した瞬間でもあった。

広東語と日本語にもいろいろと共通点があるようで、たとえば、本当かどうかはわからないが、日本語の「はい」は広東語の「係(ハイ)」からきているという。明治時代あたりにイギ リス軍からトレーナーを読んだ時に、当時香港駐屯のイギリス人が日本語で明確な返事が出来る言葉がなかったから、広東語での「はい」を採用したとかいう話 を以前効いたことがある。たしかに電話越しに「はい、はい」なんていっている香港人がよくいるし、意味もほぼ同じのようなので、そうなのかもしれない(しかし「いいえ」は「唔係(ンハイ)」なので、本当にそうなのかどうかは不明)。

昔香港に行ったときは、基本的にどこにいっても英語が通じたように記憶しているが、どうも状況が変わったのだろうか。。ホテルの従業員などの人は大概普通話を話せるし、ホテルの清掃スタッフは広東省出身者が多いため、 普通話と広東語両方を操ることができるため、比較的楽にコミュニケーションはできる。またセブンイレブンやワトソンなどの商店や飲食店などでは、従業員が若いということもあるのだろうが、癖はあるものの流暢に英語も普通話も話せるので、道を聞いたりするときには大変便利だった。インド人もおおいし、いろんな国の人がひしめき合っているので、マルチカルチャーな香港では英語は商売上重要だ。ただ、エンジニアやある程度の年齢以上の方は結構微妙なのが辛い。

言論の自由が保証されている香港では、いろんな街宣活動などを行っているのも新鮮だった。日本では普通のことかもしれないが、中国では基本的にご法度。ただ、香港では中国軍歌の替え歌で中国政府を皮肉ったようなものまで普通に流されていることに、少々驚いた。やはり中国に変換されてから10年以上たっているといえど、まだまだ中央政府に反発を覚えているひとが多いということなのだろう。

こんなこともあった。タクシーにのってドライバーに普通話で行き先を伝えると、大変態度が悪かった。やはり大陸メインで中国語を習得しているので、私の話す中国語は大陸訛り、それも北方の訛りがあちこちにあるようで、そのことは上海に行く際にも多数の人から指摘されているので自覚しているのだが、どうも私の話す中国語の響きに拒否反応があるようだった。

その後同僚の日本人と日本語で会話をしていると、日本人であるとおもったようで、急に態度が良くなってきた。たいした距離を乗ったわけではなかったのだが、その豹変ぶりにはびっくりしてしまった。同じ民族なんだから、もっと仲良くしてもいいのに、とおもうのだが、彼ら香港市民としてみれば、色々と複雑な思いもあるのかもしれない。

出張自体は成功裏に終わり、無事北京に帰還した。なにはともあれ、言葉の違いや文化の違いを商売を通じて色々と感じ取った出張だった。明らかに大陸とは考え方も言語も勝手も違うが、反面、金融都市である香港は、資本主義を謳歌している大変魅力的な街であることを再認識できた。今後は香港と往復することも増えてくると思うので、徐々に簡単な広東語も覚えていかねばと思う今日この頃だ。

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