2010年6月14日月曜日

探査機「はやぶさ」の帰還成功と私の中国滞在

ちょうど私が北京に来るか来ないかというSARSの真っ只中、はやぶさはイトカワにむかって打ち上げられた。それからこの長い年月をかけて地球に帰還したという。実に素晴らしいことだ。

2003年5月に打ち上げられたということなので、まさに私の在中期間とほぼかぶっているこの長い年月を宇宙空間を旅し続けていたと言うのは、本当にロマンのある話だとおもう。

もう八年目に突入した私の在中生活も、時間と共に自分自身も成長してきたと思いたいが、同時に中国経済成長の激動の七年間でもあった。アジアカップ開催、オリンピック開催、上海万博開催はもちろんのこと、それら以外にも中国は大きく変貌したし、今なお変貌しつづけている。

オリンピックを境に、いまや国際都市として大変貌を遂げたが、ハヤブサが飛び立ったころは「先進的な大規模農村都市」といったような状態だった。七年前、赴任のために降り立った北京空港第二ターミナルだが、当時はSARSの影響もあり、迎の客など誰一人ロビーまで入ることができない状態だった。

加えて、町中のビルと言うビルに空港などに有るようなサーモグラフィー型の体温管理システムが配備され、暑い中徒歩で移動してやっと目的地に到着したと思ったら、体温が高いために入館拒否に出くわしたり、何かといろんな目にあった。また、当時はいまほど歩道なども整備されていなかったこともあり、急いでいるときに慣れないガタガタの歩道を早足で歩いて転んだことも幾度もあった。

赴任当初は中関村エリアの南端にあたる西直門外大街と西三環路のエリアにある紫竹院のすぐ近所にすんでいたのだが、当時このエリアもスーパーまで徒歩25分、近くには小さな売店や小規模なレストランや食堂などが何件かある程度で、それほど際立ったものがなにもないエリアだったが、当時オフィスを構えていた白石橋まで非常に近いことなどもあり、ここには一年半ほど居を構えた。現在ではこのエリア付近は相当な変貌を遂げており、当時の不便さはすべて解消しているようだ。

これだけ波乱万丈な七年間を過ごした北京だが、今では日本にかえるとほっとするどころかそわそわしてしまい、北京に帰ってくるとほっとしてしまうほどになってしまった。ハヤブサも地球に帰ってきてまだそわそわしているのではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿