2010年6月28日月曜日

基板の美しさ

仕事柄、新しいハードウェアが届くと、色々とあれこれみてみるのだが、中でも一番すきなのは基盤系だ。みていて本当に飽きないし、整然と並んでいるその姿は、都市設計にも通じるほどの一つのアートではないかと感じることがある。無駄がなく、そして整然と設計されているからだろうか、一つの街を空撮してるような、そんな気分にさえなってくるから面白いものだ。

昔の基板は、これほど所狭しと設計されていなかったようにおもうが、最近の基板はテクノロジーの進歩とともに、より精密に、緻密になってきている。加えて、部品点数も増えてきているようにも思う。

過去に仕事でBeBOXというBeIncという会社が設計・製造した独自OSのマシンがあったのだが、このマシンも大変おもしろいものだった。パソコンが一般的に普及してきてはや20年。昔は自分で作る楽しみだったり、解決する楽しみがあったのに、今ではそういうことも少なくなってしまい「できて当然」「効率優先」になってきた。OSもハードもドンドン進化して、ドライバなんて概念がなくなってくるのかもしれない。そのときになったら、ハードもソフトも境界線がなくなってくるんだろうし、いまのような基板の景観もかわってくるのかなぁ、などと思いをめぐらしてしまう。

2010年6月17日木曜日

やっぱりウイスキー

酒好きの人でも、いろんなタイプがあると思う。酒の香りとかのどごしとか旨みとか、人それぞれ自分の好みのポイントがあるんじゃないかとおもうが、なんだかんだ行って、やっぱり私はウイスキーが好きだ。

接待などで飲み屋に行く時は、山崎とか響などを入れることがおおいが、最近ではたまにニッカも入れているお店があるので、そういう場合には余市などをいれることもある。ただ、日本のウイスキーは北京の市場価格ではなにげに高い部類に入ってしまう。日系スーパーだと、角瓶をあつかっているところがあるが、なんと135元(2000円くらい)する。

日本でも最近またウイスキーが流行っていると言うことだが、私は何故か昔からすきだ。おそらく以前親が買ってきたウイスキーを飲んでいたことに起因するのではないかとも思うのだが、のどごしとか旨みよりも、酒の持つ香りとかフレーバーが好きだからではないかともおもう。

どんなウイスキーでもいいのか、といわれるとそうでもない。ただ、高尚なことは正直わからないが、自分にとって飲んでホッとして、疲れが癒されるのがウイスキーであるのは間違いない。ウイスキーの語源はアイルランド語の「ウシュク・ベーハー」というそうで、生命の水という意味だそうだ。なんだか意味がわからないでもない。

この写真のウイスキーはGrant'sというウイスキーで、北京では比較的安価に手に入れられるウイスキーだ。グレンフィディックのウイリアム・グラント社のスコッチで、スペイサイドの原酒だけをブレンドしており、グレーンウイスキーでも結構いいものをつかっているようだ。値段も手頃だし、なにより水割りとかソーダ割りといったような飲み方では勿体無いくらいのよいフレーバーで、まろやかかつキレが良く、しばらくなめらかで心地よい後味を楽しませてくれる。個人的にはロックで飲むことが多く、最近結構常用させていただいている。アメリカでは第4位の売り上げを記録するほどうれているそうだが、正直第二位のJ&Bよりよほどうまい。

ただ、なんでかわからないが、時々角瓶とかオールドとかを無性に飲みたくなる。どこかでみたことがあるけど、角瓶とかオールドになると、もはやチキンラーメンとかペヤングとかカップヌードルとか、そういう領域なのかな。ケミカルでもないけど、なんだか日本人にとって忘れられない味なのかもしれない。

2010年6月15日火曜日

中国でのドライブで似合う音楽

最近では徒歩や自転車での出勤がおおいが、週末や仕事の都合でどこかに外出する際などは、愛車Jeep2500を運転して目的地まで向かうことが多い。都市圏内ならラジオで渋滞情報を聞くが、それ以外の場所などにむかったり、環状線をひたすら走るようなときなどは、軽く音楽を聞きながら走ることが多い。

そんな中、これまでに聞いてみた音楽で、どのエリアでどんなジャンルの音楽が非常にマッチするのか、個人的な感想を元にまとめてみたい。

北京市内(四環路以内エリア)
  • Smooth Jazz
  • Swing Jazz
  • Acid Jazz
  • Gil EvansなどのCool Jazz
  • 90年代のJ-POP
  • YMO、Kraftwerkなどのテクノポップ
  • J-Waveのポッドキャスティングなど

北京市郊外〜華北エリア、西北エリア
  • 喜多郎、Vangelis系統のシンセミュージック
  • カントリー
  • Bossa Nova
  • Afro-Cuban Jazz
  • トルコ音楽、アラブ音楽、アルジェリアのRaïなどの中東系音楽全般
  • ド中華な音楽

上記のような感じだが、多少例外もある。
開発区などの整備された郊外でSmooth Jazzを聴いていると、シリコンバレーとかで運転しているような錯覚に落ち入るが、漢字の看板を見た瞬間に一瞬で現実に引き戻されてしまう。中国の華北地域の郊外は、基本的にステップや砂漠のような景色がひたすらひろがっているので、カントリーや中東系などの音楽が非常にあう。喜多郎のシルクロードは、喜多郎が現地で作曲したのではないかとおもうほど、眼前に広がる光景の細かなところまでを音楽で表現していて非常に興味深いし、西域に向かっていることを自ら自覚できるような、そんな音楽だ。

人それぞれ好みがあるかもしれないが、他にも良い音楽などがあれば、是非おしえてください。

2010年6月14日月曜日

ブログの書き方

このブログのネタは、移動中などでアイディアをiPhoneに書いておいて、それを時間があいたときにちょこちょこと書きながら編集して作っている。物書きの仕事を以前していたことがあるためか、文章を書くことがひとつのストレス発散や頭の中のリラックスにつながっているため、いろんなことを適当に書いている。

iPhoneで買いた文章は、仕事の合間や帰宅してからの時間にざっくりラフを書いて、そのまま載せることもあれば、予約投稿で載せる場合もある。写真を撮影しても掲載するのが面倒なときもあるので、先に文章だけ載せておいて、あとで時間があるときに写真を加工したりして掲載するようにしている。文章を書くのが苦にならず、むしろひとつの楽しみなので、気長にボチボチとブログを続けていきたい。

探査機「はやぶさ」の帰還成功と私の中国滞在

ちょうど私が北京に来るか来ないかというSARSの真っ只中、はやぶさはイトカワにむかって打ち上げられた。それからこの長い年月をかけて地球に帰還したという。実に素晴らしいことだ。

2003年5月に打ち上げられたということなので、まさに私の在中期間とほぼかぶっているこの長い年月を宇宙空間を旅し続けていたと言うのは、本当にロマンのある話だとおもう。

もう八年目に突入した私の在中生活も、時間と共に自分自身も成長してきたと思いたいが、同時に中国経済成長の激動の七年間でもあった。アジアカップ開催、オリンピック開催、上海万博開催はもちろんのこと、それら以外にも中国は大きく変貌したし、今なお変貌しつづけている。

オリンピックを境に、いまや国際都市として大変貌を遂げたが、ハヤブサが飛び立ったころは「先進的な大規模農村都市」といったような状態だった。七年前、赴任のために降り立った北京空港第二ターミナルだが、当時はSARSの影響もあり、迎の客など誰一人ロビーまで入ることができない状態だった。

加えて、町中のビルと言うビルに空港などに有るようなサーモグラフィー型の体温管理システムが配備され、暑い中徒歩で移動してやっと目的地に到着したと思ったら、体温が高いために入館拒否に出くわしたり、何かといろんな目にあった。また、当時はいまほど歩道なども整備されていなかったこともあり、急いでいるときに慣れないガタガタの歩道を早足で歩いて転んだことも幾度もあった。

赴任当初は中関村エリアの南端にあたる西直門外大街と西三環路のエリアにある紫竹院のすぐ近所にすんでいたのだが、当時このエリアもスーパーまで徒歩25分、近くには小さな売店や小規模なレストランや食堂などが何件かある程度で、それほど際立ったものがなにもないエリアだったが、当時オフィスを構えていた白石橋まで非常に近いことなどもあり、ここには一年半ほど居を構えた。現在ではこのエリア付近は相当な変貌を遂げており、当時の不便さはすべて解消しているようだ。

これだけ波乱万丈な七年間を過ごした北京だが、今では日本にかえるとほっとするどころかそわそわしてしまい、北京に帰ってくるとほっとしてしまうほどになってしまった。ハヤブサも地球に帰ってきてまだそわそわしているのではないだろうか。

2010年6月7日月曜日

3Gルーター

先日河北省に所要で行ってきたのだが、その際に困ったのが無線LANスポットが皆無であること、そしてリアルタイムにネットに繋がらない環境が長時間続いてしまったことだった。さらにホテルのネット環境からはVPNが使えなかったため、大変不便な思いをしてしまった。

私のケータイは2.5Gまでは使えるし、Android端末であるG1も持参していたので、EDGEがなくても最悪GPRSが入ればメールなどもチェックできるのだが、どれもこれも入らず。ただ単にGSMだけの状態。これではメールなどがリアルタイムにチェックできず、どうしょうもない状態だった。ただ、どうやら周りを確認してみると、WCDMAは入るようだった。

中国ではTD-SCDMA、WCDMA、CDMA-2000、WiMAXなどがキャリアごとに混在している状態だが、全国どこでも平均的に速度が出て、なおかつ電波状況がある程度よいといわれているのがWCDMAのようだ。TDはそれほど速度が出ないようだ。

仕事柄ネットが入らない状態に身をおくことは、大変リスキーなため、現状考えているのが3Gルーターの導入である。これは3GSIMをパソコンなどにつなげるUSBのドングルのようなものをぶっさしてつかえば、電池駆動でどこでもWiFi環境を実現するものだ。使いようによっては車の中においておけば、車内有線/無線LANが構築できるので、理論上は車内IP電話とかができたりする。たとえば、ノートパソコンでサーバの作業をしながらIP電話ベースで連絡をとりつつ、Androidをカーナビ替わりに使うこととかも実現できる。これは大変ベンリだ。

ということで、夏前までにこうした環境を構築したいと思っている。ITの現場は常に戦場。これがないと、どっか行ったときになにか起きてしまったら、とんでもないリスクになってしまうと思うようになっている。

2010年6月1日火曜日

海鴎(SeaGull)DF

1966年に上海照相機廠から発売された「海鴎DF型」カメラは、135フィルム向け一眼レフで、60年代で最も成功したフィルム一眼レフカメラといわれている。クラッシックカメラ好きの方は、このカメラを見てミノルタのSRー1とおなじ形をしているように思う、と思われるかもしれないが、1964年に上海照相機廠がミノルタのSR-1をベースに開発をしたという、ようするコピーして作ったカメラだ。58ミリ単焦点レンズを備え、布幕フォーカルプレン式シャッターを備えている。シャッタースピードはB〜1000まで。またこのカメラはプレビュー版とよばれるカメラで、被写界深度確認ボタンをおしているような状態で見られるので、レンズを通して得られたボケ具合などもある程度綺麗にみることができる。また標準レンズはF2まで出ており、結構明るいレンズでもある。私の手元のDFにはUVフィルターをつけているが、当時はそんなものはなかったようだ。
 
発売当時は付加税込で180元という金額だったそうで、1960年当時の毛沢東主席の月給が404元だったそうだから、それを考えてもとんでもない金額だったことがよくわかる。また計画経済真っ只中で、かつ文化大革命の時代に発売されたカメラであり、ようするに、プロ向けのカメラとして発売されていたようだ。

このカメラ、ほとんど使っていない新品に近い綺麗な状態で保存されていた(多少の張り革の剥がれなどは40年以上前の古いカメラなのでしょうがないのだが)ものを、日本円にして1500円でゆずりうけたものなのだが、こんなに古いカメラなのに、各部は非常にしっかりと作動しており、頑丈なカメラだ。また金属ボディーもずっしりとしており、ボディーだけで1キロ弱あるのだが、これもまた手になじんで非常に気に入っている。写りも非常に素直で、付属のレンズもシングルコートながら見事な描写を実現している。SR、MC、MD各マウントが乗るので、安いレンズなども買いたせるのも魅力的だ。フィルムが手に入るうちは、こういうカメラを楽しんでみるのもまた一興かと思っている。